形見とて何か残さむ

備忘録。雪のように消えるのが夢。

4の23

読めども読めども減らぬ積読。ここ半年くらい必要最低限の本以外は買っていないのですが、それでもあんまり減った気がしない。

昔読んだ小説のシリーズものの続きを今更になって読む、というか積んであったのを今読んでいるのですが、昔ほどそれを面白いと思えなくて何とも言えない気分になりました。嫌でも自分は変わっていっているのだと思えてしまって、昔の自分がさらに遠い存在に思えてしまって。あのころには戻れないのだなぁ、とか別に思ったりしません。ただ、自分が好きだったものを説明するときに、この部分がこんな感じで面白いという言葉が今の自分にとっては嘘になってしまうのがとても嫌です。私は嘘を言いたくない。

4の22

地面がふらふらしていた一日でした。

私にしかないもの。プラスでもマイナスでも、なんでもいいので自分の境目をはっきりさせられるものが欲しいです。

そんなことはいつでも思っているのですが、昨日の徹夜で不思議の国のアリス症候群を持病として持っていることを思い出しました。視界が凄いことになります。あんまり楽しくないです。昔から熱が出た時や疲れた時、精神的に無理したときによく症状が出るので、これが見えるようなときはちょっと無理しているなぁ、という気になります。もう慣れているので、この症状が出ている時でもまともにものに触れます。この特技が生かされる時は来ないだろうなぁ、と思いつつ少し気が楽になりました。

4の21

計画性が無くてよろしくないなと。

明日が〆切の物を今からやるという。よくあることなのですが、これは私の想像力が足りていないからではないかなと。これから起こることを現実感を持って想像できないので、なんとなく危機感が出ずにずるずると前日までやらないという。過去に同じことを繰り返していても、それは記憶なので。感情は記憶できないたちなのです。危機感を思い出せないし想像もできない。危機感で動くことをやめるのも一つの手なのでしょうが、それに代わる代替手段も特に思いつかないです。

4の20

実家に帰ってました。実家にも会社のパソコンを持ち帰って仕事するありさま。会社のパソコンで作った文書が自分のパソコンで互換性がないので、pdf化しながら、ないわー、と思ってました。あと、お中元を包む紙の名前を度忘れしてたこと。普通に包む紙でいいだろうと思ったのですが、隣にいた従妹は納得していないようでした。

そんな夢。実家にでも帰りたいのでしょうか。実家に帰るとダメ人間になるので、あまり帰りたくないです。

お中元を包む紙の名前は、普通に包み紙か包装紙辺りでしょうか。

今日も遅くまで起きていました。意志が弱いのもあるのでしょうが、理由がないというのも一つの要因のような気もします。まあ、理由があっても夜更かししてしまった、ということは何度もあったので、やはりなんだかんだで意志も弱いのでしょう。

なんだか、現実で知っている人でもネットで知っている人でも、気になったらとりあえずTwitterやらなんやらを調べてしまう時があります。ストーカー気質でなんだか怖いですね、自分のことなのですが。このような行動をいつか自分で制御できなくなってしまうのではないかと、というか今でもあんまり制御できている気はしないのですが、怖い。自分で自分を制御できないことに酷く劣等感を持っているのです、多分。

4の19

地元のサブカルな店の片隅に、光る藻の文字キーホルダーが売ってあったんですが、その宣伝ポップに「話題のSTAP細胞から作りました!」って書いてあって、うわぁ、と思いました。

という夢を見ました。比較的普通の夢。

4の18

朝に日記を書くとはなんだったのか。まあ、できたらやります、くらいの感じで。

今週のお休みはなんだか色々詰まっているのであんまりお休み感がないです。まあ、多分この程度で詰まっているなんて言ってたら、もっと大変になった時はなんといえばいいのか、という程度なんですが。でも、私にとっては詰め詰めの予定。

人からどう思われるのかは気にしていたらダメなのに、人からどう思われたのかは気にしなくてはいけないという、面倒くさい世の中です。

4の17

朝に日記を書いた方が義務感を感じないのでいいかもしれないです。一日の始まりに日記を書くというのも変な感じですが。

頭はおおむねボケボケなので、あまりまともなことは思い浮かびません。

世界の物理法則と因果律の順番について。世の中の物事を説明するために科学は発展してきたのだけど、科学の正しさを保証する存在の不在について。科学の正しさの保証は、根本的な部分は神が決めたことだから、で済ませてきた面があると思うのだけど、そこを否定したら今の物理法則の体系がただし理由は何になるのだろうか。現状で一番世界を正しく説明できているからなんて理由より、神様が世界を創ったという方が説得力があるような気がする。人間が直感的に正しいと感じていることが正しさの源なら、科学なんかより宗教の方がよっぽど直感的に正しいような気がするのだけれど。

もう一つ別の面から。科学は人間が世界を説明する方法なので、人間にとって正しくても人間以外にとっては正しくない可能性はある。林檎が落ちるのは重力があるからだと人間は思っているけど、それは林檎が落ちる理由を重力があると仮定した場合に最も正しく説明できているだけであって、もっと合理的に説明できる方法はあるのかもしれない。それなら、現状の科学はあくまで「今一番正しそうな説明」というだけだ。それは宗教が世界を説明するのとそんなに変わらないと私は思う。

世界を説明するための一つの方法に過ぎない「科学教」なのだと。

昨日知り合いにそんな話をしたのですが、あまり納得してもらえませんでした。

林檎が落ちるために重力が存在するという考え方は、多分この前やすみんの小説を読んだ影響です。